【言葉のチカラ】楽観主義
新型コロナウイルスの感染拡大によって世界中が大きな困難に直面しています。
しかし人類は今までも数々の苦難に遭遇しながら、そのたびにそれらを乗り越え、力強く立ち上がってきました。
「言葉」によって目に見えないものの存在や価値を認識することができる唯一の生き物である私たち人間は、そのような苦境に直面した時、たった一つの「言葉」との出会いによってその苦境を乗り越える勇気や希望を与えられることがあります。
言葉がもつそのような「チカラ」を信じ、ここでご紹介する言葉が、誰かにとってのそのような出会いの言葉となることを祈って。
悲観主義は気分だが、楽観主義は意思である。(アラン)
アラン(ペンネーム、本名はエミール=オーギュスト・シャルティエ)は『幸福論』で知られるフランスの哲学者、評論家です。
つらいことがあったとき、悲観主義に陥るのは単に気分に流されているだけであり、そこでもあえて楽観的に振る舞うためには強い「意思」が要る。ややもすると悲観主義に浸っている人の方がカッコよく、頭が良さそうに見え、楽観的な人は何も考えていない浅はかな人に見えてしまうことがありますが、放っておいたら悲観的になってしまいそうな状況にあって、それでもなお楽観的な態度を崩さないためには、確かに相当強い意思が必要だと思います。
以前ここでご紹介したビクトール・フランクルも、ナチス強制収容所で生死を分けたのは、「未来に対して希望を持ち得ているか否か」だったと言います。あの普通に考えたら全く希望を持つことができない絶望的な状況の中で希望を持つというのはよほどの楽観主義だと思いますが、それは自然とそうなるものではなく、そのような明確な意思を持つことによって可能だったのかもしれません。
辛いときこそ、悲観的な気分に流されることなく、楽観的であろうとする意思を強くもって行きたいと思います。
アラン(1868~1951)
フランスの哲学者、評論家、モラリスト。