【ISO的読書日記】安易な単純化、管理至上主義に陥らないために 〜『現代思想入門』(千葉雅也)より

"現代思想は、秩序を強化する動きへの警戒心を持ち、秩序からズレるもの、すなわち「差異」に注目する。それが今、人生の多様性を守るために必要だと思うのです。"

 
 
 

 

本書は40代前半の若き哲学者による現代思想の「入門の入門」書。難解な現代思想をざっくりとでも理解したいと思い、また以前著者の『勉強の哲学』を読んでとても面白かったのを覚えていたこともあり、書店で本書を見つけて即買いしました。

 

ここでいう「現代思想」は、1960年代から90年代を中心に、主にフランスで展開された「ポスト構造主義」の哲学を指しており、本書は、その代表者としてジャック・デリダ、ジル・ドゥルーズ、ミシェル・フーコーの3人を挙げ、この3人で現代思想のイメージが掴める、という方針で書かれています。

 

複雑な世の中を単純化しないで考える

そもそも現代思想を学ぶことでどのようなメリットがあるのか。著者はこう言います。

現代思想を学ぶと、複雑なことを単純化しないで考えられるようになります。単純化できない現実の難しさを、以前より「高い解像度」で捉えられるようになるでしょう。

「簡単さ」「シンプルさ」ばかりがもてはやされる風潮にある昨今、この視点は非常に重要だと思います。複雑なことをわかりやすくするためにある程度枝葉を削って「モデル化」することは必要と思いますが、それがかえって本質を見誤らせてしまうこともあります。常に人間は経済的に合理的な行動をとるものだ、という前提に立つ伝統的な経済学に対して、人間には感情があり、常に合理的に行動するわけではない、というある意味当然の前提に立った行動経済学が注目されるのはその良い例でしょう。

 

そして、現代思想のキーワードとして(二項対立の)「脱構築」という言葉が挙げられています。これは、「物事を『二項対立』、つまり『二つの概念の対立』によって捉えて、良し悪しを言おうとするのをいったん留保する」ことです。

 

私たちは物事を考えるとき、自然と二つの概念を対立させて、そのどちらが良くてどちらが良くないのかを判断しようとします。この判断をキッパリしないことは優柔不断なことで、避けるべき態度だというのが一般的でしょう。確かに経営の場で経営者が何も決断しないのは論外でしょう。しかし、そもそも決断が難しいのは、どちらの選択肢が良いのかが自明ではないからです(自明なのであればエラそうに「決断」などと言う必要もありません)。現実の複雑さを理解し、どちらの選択肢にもメリット、デメリットがあることを分かった上で「それでもあえて」決断する、ということが決断の難しさであり、安易に複雑な現実を「単純化」し、二項対立のうちどちらかが正しいことであるかがあたかも自明であるかのように考えることはかえって判断を誤ることにつながる可能性があります。そう考えると、この「二項対立の脱構築」的な考え方を身につけることは経営者にとっても非常に重要なことではないでしょうか。

 

管理至上主義への警告

そして、現代思想を学ぶことの重要性としてここでもう一つ言われているのが、冒頭に引用した言葉です。

現代思想は、秩序を強化する動きへの警戒心を持ち、秩序からズレるもの、すなわち「差異」に注目する。それが今、人生の多様性を守るために必要だと思うのです。

著者は、「大きく言って、現代では『きちんとする』方向へといろんな改革が進んで」いて、「それによって生活がより窮屈になっていると感じ」ると指摘します。「現代は、いっそうの秩序化、クリーン化に向かっていて、そのときに、必ずしもルールに収まらないケース、ルールの境界線が問題となるような難しいケースが無視されることがしばしばである」のです。

 

著者はまたこうも言います。

何か問題が起きたときに再発防止策を立てるような場合、その問題の例外性や複雑さは無視され、一律に規制を増やす方向に行くのが常です。それが単純化なのです。世界の細かな凸凹が、ブルドーザーで均されてしまうのです。物事をちゃんとしようという「良かれ」の意志は、個別具体的なものから目を逸らす方向に動いてはいないでしょうか。

これなどは、ISOマネジメントシステムの審査員としては非常に耳の痛い言葉です。

 

このような「きちんとする」方向、これはまさしくISOマネジメントシステムが目指す方向と言えます。しかしながら、マネジメントシステムの中でルールを決めて、物事を「きちんとする」ことと、ルールからの逸脱という「きちんとしていない」ことを二項対立として捉えたとき、「脱構築」的な考え方からすると、「きちんとする」ことは良いことで、ルールからの逸脱は悪いこと、というような単純化した判断をいったん留保する必要があるのではないでしょうか。

 

もちろんこれは、ルール化して「きちんとする」ことが良くない、ということではありません。それでは善悪を逆にしただけで、単なる単純化という意味では何ら変わりありません。そうではなくて、ルール化してきちんとやろうとしても、この複雑な現実において、それで全てがカバーできるとは考えない、ルールからこぼれ落ちてしまう個別の状況にもしっかり目を向けてそれぞれに対して丁寧に対応する、ということです。

 

何でも「きちんと」管理して、それによって安心・安全がもたらされる、ということはもちろんあるでしょう。マネジメントシステムは、そのような秩序化された状態を目指すわけですが、一方でそこからの逸脱を一方的に「悪」として断罪し、例外を許さない、という硬直化した姿勢、管理至上主義的な考え方は、極論すれば戦時中のファシズムにも似た危険な状況をももたらしかねない、ということを私たちマネジメントシステムの審査員は常に意識しておく必要があると思います。

 

「組織の状況」の理解がキーポイント

ISOマネジメントシステムの共通構造を示した附属書SLの要求事項は、「組織の状況を理解する」ことから始まります。これは、個別具体的な組織の「状況」はそれぞれ唯一無二であることを前提にし、マネジメントシステムはその個別の「状況」を常に考慮しなければならない、ということです。したがって、ISOマネジメントシステム自体、硬直化した「管理」一辺倒のシステムを指向しているのでは決してない、ということは強調しすぎることはないでしょう。その意味で、この項目が要求事項の最初に規定されていることを私たちはもっと重く受け止めるべきだと思います。

 

20世紀の思想の特徴は、「排除される余計なものをクリエイティブなものとして肯定したこと」にあります。「本流」から外れた「傍流」としてそれまで排除され、「余計なもの」とされてきたものにそれまで気づかなかったパワーが秘められていることは、現代アートやサブカルチャー、日本が世界に誇る「マンガ」や「アニメ」文化を見てもわかります。組織経営においても、このようなルールから逸脱したものの中から真に創造的なイノベーションが生まれる可能性があることを忘れず、マネジメントシステムで大筋のところは「きちんと」やりながら、そこから外れる部分も切り捨てるのではなくきちんと目を向ける、というバランス感覚が大切だということを改めて感じます。