「マニュアル」の功罪 ~マニュアルは作るべき?それともなくすべき?

お店に行って、その対応を「マニュアル通り」と感じることがあります。一人で大量にハンバーガーを注文した女性に「店内でお召し上がりですか」と「機械的に」聞く、小さな子どもに「機械的に」大人に対するのと同じような言葉遣いで話す、店内に入ってきたお客さんの顔も見ずに「いらっしゃいませ」と「機械的に」言う、等々。このようなとき、私たちは「融通が利かない」、「型どおりで心がこもっていない」と感じ、それを「マニュアル通りの対応」と表現します。ではマニュアルはない方が良いのでしょうか。組織は何のためにマニュアルを作るのでしょうか。

 

そもそもマニュアルとは、組織の一員として要求される最低限の行動を示し、その実行を徹底させるためのものと考えられます。その組織に所属する人は、その最低限の行動がまずできることが期待され、それができることを前提にした上で更に満足していただけるサービスを考えることが重要でしょう。

 

製造業の場合、それは「作業手順書」や「機械操作マニュアル」のような形で示され、それに従うことで間違いなく、かつ安全に作業することがかなりの部分担保されるということがあるでしょう。一方、サービス業の組織の場合は、個々の人間を相手に千差万別な状況に対応しなければならないという点が製造業と最も異なる点です。そしてそのような様々な状況においても最低限のレベルの対応ができるようにするために作ったものがそもそもマニュアルの目的であり、だとすればそれに従うことは決して悪いことではないはずです。

 

ではなぜ「マニュアル通りの対応」が批判されるのか。このような批判の多くは、マニュアルがあること自体ではなく、そのマニュアルの中身、またはその教育に問題があることが多いのではないでしょうか。

 

マニュアルの目的はあくまでお客様に「感動」までは行かなくても「最低限の満足」をしてもらうことにあるとすると、そもそもすべての状況を想定し尽くすことができない中で、本来統一すべきなのは様々な状況で適切な判断ができるための「価値観」とそれに基づく「行動の優先づけ」でしょう。例えば、ディズニーランドでは、そこで働く「キャスト」が守るべき行動基準として「SCSE」が徹底されているそうです。つまり、何らかの行動をとる際にまず優先すべきはゲストの安全性(Safety)であり、それが確保できたら次が礼儀正しさ(Courtesy)、その次がショー(Show)、そして最後が効率性(Efficiency)という順番で優先することが徹底されています。逆に言えば、様々な状況にあって具体的にどのような行動をとるべきかを規定しつくすことはできないので、このような価値基準に沿ってキャストがその場その場で判断して行動することが求められている、ということでしょう。

オリエンタルランドの行動基準「SESC」

 

私たちが不満を抱くのは、必ずしもその細かい言葉遣いや態度ではなく、自分が一個の個人として尊重されていないと感じるときと言えるでしょう。それなのに、マニュアルの中で個々の状況に対する「具体的な行動」を一律に決め、それを本来の目的や意図も教えることなく単にそのマニュアルで決められた行動を強制させようとするとき、それが「マニュアル通りの対応」となって、お客さんに不満を抱かせてしまうことになるのではないでしょうか。

 

たかがマニュアル、されどマニュアル。マニュアルですべてがうまくいく訳ではもちろんありませんが、マニュアルがなければ最低限のレベルは維持できない。マニュアルの効用と限界を正しく理解して、上手に使うことが大切なのだと思います。