株式会社ジェイ−ヴァック 10周年記念 社内インタビュー

ジェイ−ヴァックが変えるべきこと、
変えてはいけないこと



◆なぜ、ISOで組織の人々が苦しんでしまうのか
◆経営者でいる以上は、自分で汗を流さなくてはならない
◆お客様と一緒に考え、一緒に見つける審査に
◆“マネジメントシステム=経営の仕組み”という意識を持ち続ける
◆“モノ”はだんだん変わっていく




2012年6月、株式会社ジェイ−ヴァック(以下、J-VAC)は設立より10年という節目を迎えました。
大手審査機関の常務理事、ISO審査本部長を務めていたJ-VAC代表取締役社長・森田允史は、自身の理想とするISO審査を実現するため独立し、顧客組織の皆様はじめ多くの方々に支えられながら、この10年間を乗り越えてまいりました。

そこには、多くの経営者の皆様と同様に、迷いや困難があり、出会いや助けがありました。皆様とともに歩んできて迎えられた今この時こそ、そんな森田の生の声をお届けするべく、社内インタビューを企画いたしました。

この10年に森田は何を見て、何を感じ、どう行動してきたのか――そしてこの先10年を見据えて何を考え、どんな審査機関を目指していこうとしているのか――お読みいただいて、そんなことを少しでも感じていただければ幸いです。

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なぜ、ISOで組織の人々が
苦しんでしまうのか

森田允史の前職は大手審査機関の常務理事、ISO審査本部長である。ISO業界においては権威ある立場に位置し、安泰だったと思われるのにもかかわらず、なぜ敢えて独立を決意したのだろうか。そのきっかけとは、何だったのだろうか。

「きっかけは、それまでいた審査機関では、私が目指す“付加価値の審査”を行うには限界があると感じたことだね。
私の言う“付加価値の審査”とは、何も新しいことを要求するのではなく、いかに組織経営に役立つようにISOを使ってもらい、そのための審査方法を組織と一緒に作っていくかということ。

当時、――今もだけれど――組織の実際の活動と、ISOの活動が別物になっている組織をあまりにも多く見てきた。その多くは規格の要求事項を正しく解釈できていないことから起こっているわけだけれど、マネジメントに役立つツールであるはずのISOが、経営者や従業員の人々を苦しめている。

そのことに強く疑問を感じて、規格の正しい解釈に基づいた、組織状態に見合った審査方法というものを作っていこうとしたのだけれど、それを当時の上司たちが理解できなかったのだね。そこで、それなら独立しようと思い立った」

安定した地位を捨てての決断。独立をした時、森田はすでに還暦を越えていた。理想は後世に託し、ゆっくりと余暇を楽しむという選択肢もあったにもかかわらず、敢えて険しい道を選ぶあたりが、エネルギッシュな森田らしいところではあるが、独り険しい道を歩くことに不安はあったに違いない。実際、独立を考えていることを口に出せば、返ってくる反応は皆、否定的なものばかりだった。

「皆から反対されたよ(笑) 友人や周りの人間の中で賛成してくれた人は……いたかな?思い出せないくらい、いなかったね(笑) 皆、今更やめておきなさいよ、といった感じでね」

それをともに歩み、支えてくれたのがJ-VAC非常勤取締役であり、現在ISO/TC176/SC2の議長を務めるナイジェル・クロフト博士である。

「そもそも独立というアイデアを与えてくれたのが、ナイジェルでね。彼は私がやりたい審査を行えずに行き詰っている状態を見て、それなら思い切って、“付加価値の審査”ができる審査機関を作ったらどうか、と提案してきたんだよ。まあ、提案はあくまでも提案で、結局は自分の意思だったわけだけれど、彼は、私の意向をしっかり理解して、投資までしてくれた。

社名も彼と一緒に考えた。
“付加価値の審査”を行いたい、そういう思いを込めて、
Japan Value-Added Certification Co.,Ltd. とした。
実は、それまでナイジェルとはたった2年間しか付き合いがなかったのだけど、どうしてナイジェルがそこまで私を信用してくれたのか、今でもよくわからないんだ(笑)
彼は『君は絶対に成功する。その力があると信じているから』と言ってくれて。
そんなに信用してくれるのは嬉しいけれど、私のほうがそこまで自分のことを信じきれていなかったかも知れないね(笑)」

また、中部産業連盟 副会長の竹内弘之氏や、以前の審査機関時代からともにISO認証に取り組んできた南一成氏(元:J-VAC審査員)の応援も大きな力となった。今でも、竹内氏の強力な支援や、南氏が森田の考え方を当時から変わらず信頼し、支持し続けてくれていることには感謝が絶えないと、森田は言う。

家族の後押しもあった。独立するにあたっては、当然ながら資金が必要となる。それまで、家庭のお金に関することは一切妻(J-VAC監査役)に任せたきりだったが、何も言わずに用意してくれたという。

「『やりたいんだったら、やったらどうですか。お金の心配はしなくて大丈夫ですから』と。私が知らないうちに、はいってきた給料からコツコツ貯めていてくれて、会社を作るときになって、初めてそれを見せてくれた。
人間、いつかはそういうお金が必要になる時期が来るもんなんだね。その時期を見越して準備しておいてくれた。もっとも、私はその時期が遅すぎたわけだけれど(笑)

家族の応援があったというのは、大きいよね。会社のロゴを作るとなったら、三男が『こんなのはどう?』と考えてくれたりして。
苦労はかけたと思う。だけど、本当に立派な会社を作りたかった。大きいのは無理だから、小さくても、“強み”として私の知識やナイジェルの知識を活用できる審査機関を。そして、その方面で日本一になるんだってね」

 

 


J-VAC非常勤取締役(ISO/TC176/SC2議長)ナイジェル・クロフト博士

経営者でいる以上は、
自分で汗を流さなくてはならない

強い意志と志を持って設立したJ-VACだが、船を漕ぎ出すまでは相当な力が必要である。森田が自ら営業に回り、汗を流す日々が続いたが、なかなか顧客はつかない。
資金はあっという間に底をつき始め、経営難を理由に、マネジメントスタッフとして一緒に始めた仲間のうち数人が去っていった。

「何しろ、当時は営業が私一人しかいなかったからね。タクシーに乗れないから、バスとか歩きとかで。夏なんか営業先に汗でびしょぬれになりながら行って、先方に『森田さん、どうしたんですか?』なんて言われてね(笑)
苦労ね……確かに苦労はしたよ。でも、苦労したからここまで来ているのだからね。苦労というのは経験しないとね。

私は経営者でいる以上は、自分で汗を流さなくてはいけないと思っているから。現場を知らなくては社長なんてやっていられない、というのが私の考え方。もっともこれは、私の父親から譲り受けた考え方なのだけれども」

70歳を過ぎてなお、現役審査員として日本各地を飛び回り、その傍らで全審査員の報告書に目を通すという、並外れたバイタリティの根底には、当時の思いがあるのかもしれない。当時の苦しさ、悔しさの上に、今がある。今、それを崩してしまうことは、当時の思いまで無にしてしまうことになるのだ。自らの惰性や放任で、積み上げてきたものを失うわけにはいかない――おそらくそれは、多くの経営者と同じ思いなのではないだろうか。

「最初のお客さんは、大陽ステンレススプリングさんだった。私は出身が九州の大牟田(福岡県)だけれども、通っていた高校時代の先輩が当時の経営トップにいてね。先輩と言っても、5学年も上だから在学当時は会ったこともなかったけれど、同じ高校出身ということを聞いてからは友人のように付き合ってくださって。
前職を辞めてからも、準備で追われて1ヶ月間は挨拶にも行けなかった。でも、その会長は部下に『九州男児で、そんな礼儀をわきまえない奴はいない。森田さんは絶対に挨拶に来るから待て』と言われていたらしい(笑)

1ヶ月経って、ようやく挨拶に行ったら、開口一番『森田さん、お金は大丈夫か。資金は大丈夫なのか』『もし足りなくなったら言いなさい。こちらでも用意したから心配するな』と。実際にお金を借りることはなかったけれど、その気持ちがありがたかったね……。

それで、第一号のお客様になっていただいて、登録証を出したときの嬉しさは何とも言えないね。やっと、“付加価値の審査”を理解してくれる会社ができたんだ、とね。だけど、それからはまた営業、営業……一生懸命回ったよ。セミナーなんかもやって。簡単じゃなかったよね。

10年か……今思えば、よくやってきたな(笑)」

 

 

 

お客様と一緒に考え、
一緒に見つける審査に

ここで10年前から今現在に意識を戻してもらい、現在のJ-VACの状況について分析してもらおう。この10年、世界は加速度的に変化し続け、それに伴いISOを取り巻く状況、またISO規格そのものも変化をしてきた。
ISO審査機関としてJ-VACは外的に、内的にそれぞれどんな変化を遂げてきたのだろうか。

「外的には、ISO認証に対するメリットに対して、期待が薄れてきているという事実はある。先ほども言ったように、それは組織の活動とISOの活動が別物になっているために、ISOは組織にとって負担を増やすものだと誤解されていることに起因している。

しかしその一方で、うまく使えば経営に役立つのだ、という考えは広まってきていると思うよ。以前は、ISOは顧客のために取るものだと思われていたけれど、今では、少なくとも当社のお客様の中では、ISO認証は経営ツールを改善するためのものだという理解が強まってきているのは確かだね。

外的な変化としては他に、生産拠点が海外へ移行する傾向が強まっていることが挙げられる。これは顧客組織にとってだけでなく、J-VACにとっての脅威でもある。日本でのISO認証、とくにISO9001認証取得組織は、圧倒的に製造業が多い。その製造業が日本から海外へ流出するということは、日本の審査機関にとっての顧客が海外へ流れてしまうことだからね」

「こういった外的な変化に対して、J-VACは常に新しいものを取り込みながら、“強み”を伸ばしていこうとしている。J-VACの強みは要求事項をしっかり理解しているということ――私にしてみれば、まだまだ不十分なところはあるけれども。審査員は2ヶ月に1回の研修を受けて努力しているし、審査方法自体も変えてきた。

文書が多い、記録が多いといった重いシステムでは、スピードを増す現代に対応できない。組織の中にそういう認識が強まってきていることは、J-VACにとっては後押しになっていて、他審査機関からの移転という形でも表れてきている。そのように困っている組織を、我々はしっかりと受け止めていかなくてはならない。

だから、審査のやり方も、お客様と一緒に考えていかなくてはならない。改善の方法を一緒に見つけていかなくてはならない。そういう審査に変えていかなくてはならないのだよ」

回顧するときの穏やかな様子とは打って変わり、審査に関する話を始めるや否や、言葉に熱がこもる森田。自分が、J-VACが関わったすべての組織に、よりよくなってほしいという強い思いが伝わってくる。
そこには、日本にISOを広めた立役者としての自負と責任感も垣間見られる。
森田の話は続く。

「今、審査機関に求められていることとは、別物になっている組織経営とISO運用を合致させて、スピードを増す現代に組織が遅れを取らないようにすること。
今はまだ、組織経営とISOのマッチングができていない組織は多い。品質方針にしても、組織が取るべき方向というのを明確にできていない。
だから、そういう組織に対しては、方向を変えるきっかけを投じなくてはならないんだよ。

ISOを取得して5年も経ってくると、組織によっては『もうだいぶ定着してきたのだから』と優先度を下げてしまうところもある。そこに、タートル図での分析などで、新しい風を吹き込むことによって、経営の見直しをしてもらう機会を作る。

また、中には『私はもう、経営を卒業しました』などという経営者がいる。だけど、卒業なんてできるものじゃない、経営というのは。組織の外はどんどん変化をしているのだから。それなのに『卒業した』などというのは、組織の中しか見ていないことになる――それが一番楽ではあるんだけれどね。そういったところにも、改善のサイクルを止めないために、第三者として評価をしていく」

 

 

 

“マネジメントシステム=経営の仕組み”
という意識を持ち続ける

 すさまじい勢いで変化する社会で組織が生き残るために、組織がより軽やかに、スピーディに変化を遂げるため、J-VACの審査も変化していく。
では反対に、J-VACが決して変えてはいけないこととは、何だろうか。

「当たり前のことだけれど、“マネジメントシステムとは、経営の仕組みのこと”という認識を持ち続けることだね。
 ISO9001やISO14001のようなマネジメントシステムは、組織のあるプロセスや何か一部分だけを管理するためのものではない。組織にとっての目的である“顧客満足”に対し、すべてのプロセス、すべての作業を向かわせるためのものであり、それがつまり、組織経営に他ならない。

何度も言うようだが、組織経営とマネジメントシステムとが別物になってはならない。そもそも、別々になりようもないはずのものなんだよ」

「そういう意味でも、複数の規格を取得している場合、統合できるものは統合したほうがいいだろうね。
別々に運用することでどんどん複雑になるし、複雑になれば経営には重荷になり、いずれ役に立たなくなる。環境マネジメントシステムにしても、“紙、ゴミ、電気”の削減に終始したようなものではなく、社会に貢献できるような目標を持ってこなくてはならない。

啓蒙をすることは、それはそれで大切だが、組織にとって大切なのは、先ほども言ったように、お客様が喜んでくれること、“顧客満足”であって、品質マネジメントシステムとまったく同じことなのだから。それを踏まえた目標を持ってこなくてはならない。

J-VACは統合審査の件数の多さでは日本有数。統合審査をすると工数が減ってしまうので、別々にやりたがる審査機関が多いのだけれど、全部一緒に取り組んでいって、はじめて企業経営に役立つのだから、J-VACは今後も統合審査を推進していく。それは、J-VACが絶対に変えてはならないこと。

また、それには審査員の技量も必要だから、そのためにも、審査員の研修教育をおろそかにしないことだね」

 

 


審査員研修の様子(2012年7月)

“モノ”はだんだん変わっていく

マネジメントシステムといえば、品質マネジメントシステム(ISO9001)、環境マネジメントシステム(ISO14001)などがメジャーな規格だが、近年、他にも様々な規格がISOによって生み出されている。
情報セキュリティマネジメントシステム(ISO27001)、食品安全マネジメントシステム(ISO22000)、エネルギーマネジメントシステム(ISO50001)、事業継続マネジメントシステム(ISO22301)など多数ある。
このように多くの規格が生み出される背景には、何があるのだろうか。

「様々な規格が生まれている意味とは、“リスクが明らかになってきている”ということ。逆にいえば、リスクをみんなが理解できるようになると、規格が生まれてくるというわけだね。

たとえば、これまでは、個人情報がリスクだなどと思わなかったけれども、技術革新とともにリスクが目に見えるようになってきた。だから、そういったリスクに重心を置いた規格が生み出されている。

“モノ”はだんだん変わっていく。
食品にしても、製造さえきちんと管理していればいい、というのがHACCPだった。けれども、製造ラインを管理していたところで、購買のプロセスではどうか。流通のプロセスではどうか、販売のプロセスではどうか。経営者の考え方もある。
そういったことを全部含めて考えなくては、食品安全に対するリスクを防止することはできない。マネジメントシステム、つまり経営として取り組んでいかなくてはならない、そういうことでISO22000の規格ができた。

国によっては、早くからリスクを感知して独自の規格を作っているところもあるが、日本はリスクに対して甘いところがあり、何かが起こってはじめて『ああ、こんな問題が起こるんだ』と認識することが多い。それをいかに早く捕まえて、国際規格にしていくかにISOの真髄がある。

ただし、どんなマネジメントシステムが出てきても、ISO9001が基本。ISO9001に沿った構造をきちんと構築しておかなくては、その上に新しい規格を加えることはできないからね。それは、しっかり意識しておかなくてはならない」

 最後に、椅子の背に体を預けながら、森田はこんな話をした。

「振り返れというから振り返ったけれども、モットーは“前進あるのみ”。
眠れないほど苦しかったことや、大変だったことはもちろんあるんだけれども、そういうことがあったからこそ『負けたくない』と思って、力が出たということもあるし。まあ、それでも、あんまり思い出したくないね(笑)

今思えば、私の親父が言っていたことが一番勉強になったね。『遊びを真剣にやりなさい。それでなくて、仕事が真剣にできるか』と。
だから私が、野球でもテニスでも、試合をしようものなら必ず見に来ていたんだよ、隅の方に。

私は親父がずっと怖くてね。威厳があって。親父の前ではいつもきちんとしていなくちゃならなくて、会いに行けば必ず書斎で勉強していた。その一方で、テニスでは九州一、ゴルフは遅くに始めたにもかかわらずシニアでチャンピオンになるほどの腕前だった。さすがに、それには勝てなかったね。

そんな親父が言っていたのが『俺がどうしてもできなかったのが英語だ。英語の勉強はしたことがなかった。だから、お前は英語をしっかりやりなさい。そして、世界に出なさい。そこでお前は俺に勝て』と。
それだけは、私は実行できたと思う。
だけど親父には…亡くなった今でも、やっぱり頭が上がらないね、本当に(笑)」