ルール軽視の恐ろしさ ~「ダイヤモンド・プリンセス」火災事故の教訓

ISOの悪評の一つに「ルールでがんじがらめにされる」ということが挙げられることがよくあります。それでは、「ルール」は不要なのでしょうか。そもそも「ルール」とはどうあるべきなのでしょうか。これを考える上で一つの良い事例をご紹介します。それは、三菱重工業長崎造船所で平成14年(2002年)10月1日に発生した、大型客船「ダイヤモンド・プリンセス」の火災事故です。

 

大型客船「ダイヤモンド・プリンセス」火災事故の概要

「ダイヤモンド・プリンセス」は排水量11万3000トン、全長290m、甲板17層、最大客数約3100人という、日本造船史上最大の豪華客船です。火災は進水を終えたダイヤモンド・プリンセスを岸壁に係留し、艤装工事を進めている最中に発生しました。出火場所は5番デッキの320号客室で、調査の結果階下の4番デッキで行われていた溶接作業の熱が伝わり、同室内の可燃物に引火したことが原因でした。

火災発生から36時間後にようやく鎮火しましたが、船体床面積の4割(約5万㎡)を焼損し、130億円(同期の純利益の38%)という巨額の損失を計上する結果になりました。

客船

「ダイヤモンド・プリンセス」

 

事故発生の経緯

問題の溶接作業を実施したのは入社以来30年以上の勤務経験を持つベテラン作業員A(当時52歳)で、溶接に関する各種の技能講習や安全教育も受講済みでした。

配管を固定するための部品を天井に溶接する作業で、溶接場所は鉄骨の梁とされていましたが、位置関係により梁に溶接できない場合は天井面に直接溶接する「直(じか)溶接」が認められていました。しかし、各層の天井は階上の床を兼ねた鋼板であり、天井面に直溶接を行うとその熱が伝わって階上の可燃物に引火する危険があったため、可燃物が搬入された区域を特別防火管理区域に指定し、その周囲で直溶接を行う場合は特別防火班に火気作業届を提出した上で、溶接箇所背面の可燃物を除去し、見張り員を配置してから溶接作業を行うことが決められていました。

問題の320号室も既に内装用品が運び込まれ、特別防火管理区域に指定されていましたが、Aは火気作業届を提出しておらず、可燃物の除去や見張り員の配置も行わずに直溶接を実施しました。この火気作業の熱が320号室に置かれていた段ボール紙やビニールシートに引火して火災が発生したのです。

Aは4番デッキの業務に就いてから火災が発生するまでの2週間に数十本の部品を直溶接していましたが、いずれも火気作業届を提出していませんでした。一緒に作業していた同僚がたびたび注意していましたが態度は一向に改まらず、直属上司の副作業長も報告を受けていませんでした。たまたま火災前日にAが同僚から注意されている現場に副作業長が通りかかり違反作業が行われていたことを把握しましたが、副作業長はAに対して指導を行うことなく事故予防の機会をみすみす逃してしまいました。

 

ルール軽視の背景

このように、この火災事故は決められたルールに対する違反が繰り返された結果発生したという意味で、典型的な「ルール違反による事故」と言えます。しかしこのルール違反の背景には、このようなルール軽視の風潮を生む要因が存在していました。

背景① ベテラン作業員への監督不在

わが国には年長者を尊敬する儒教的な文化もあり、組織内の役職に基づくフォーマルな上下関係とは別に在職年数の長短に基づくインフォーマルな人間関係が職場の中に濃厚に形成されることがあります。また、日本には「ものづくり」を尊ぶ風土が存在し、現場の地位が相対的に高く、現場のベテラン作業員に強い発言権がある傾向があります。

このような理由で管理者側がベテランに遠慮して実質的に監督不在の状態になると、自分の力量に慢心し、自分のやり方が一番正しいと思い込み、規則やマニュアルをあっさり無視する「名前だけのベテラン」を生み、これが安全管理上の盲点となり予想外の事故を引き起こしてしまいます(実際、Aの上司である副作業長はAの後輩でした)。

A以外にも多くの作業員が火気作業要領を遵守していなかったことが事故後の調査で明らかになり、また、このような「規則違反の常態化」は火気作業以外の作業でも同様で、特別防火管理区域の床上には可燃物を直置きしないよう指示があったにも関わらず、実際には直置きもやむを得ないという暗黙の了解が現場に存在していたようです。その結果、この事故に先立って「ダイヤモンド・プリンセス」の船内では初期消火に成功し大事には至らなかったものの、4件の失火事件が発生していました(いずれも直溶接の際に階上の確認を怠ったことが原因)。

背景② 「規則過剰症」

事故後に三菱重工側が製造部門の課長・係長を対象に実施したアンケートによると、「守るべきルール/マニュアルが多すぎ実情に合わない」という意見が多く見られました。必要性の小さい、現場の実情から乖離した規則類が増えたことで、作業現場の中で規則を遵守しようとする意識が希薄となる「規則過剰症」に陥ったということが言えるでしょう。

このような状態に陥ると、当初は不必要な規則に対してのみ違反が行われますが、いずれは絶対に守らなければならない安全規則にまで違反が及んでしまいます。規則違反が日常茶飯事となることにより、規則それ自体の「重み」が失われてしまうというわけです。このように、規則やマニュアルを無用に増加させるとかえって現場の規範意識を後退させる危険性がある、ということには十分注意が必要でしょう。

背景③ 組織としての焦燥

90年代以降、造船業界では韓国との受注競争が激化し、大型タンカーの価格が大きく下落したため、組織として利潤の高い豪華客船分野への進出を急がなければならないという内部事情がありました。巨大プロジェクトである「ダイヤモンド・プリンセス」の建造をぜひとも成功させ、豪華客船市場を開拓したいと懸命だった三菱重工は、平成15年7月に予定されていた同船の引渡し期日を2ヶ月も早めて海外市場にアピールしようと、発注者(英国の海運会社)の要請に特別に配慮したのです。

「ダイヤモンド・プリンセス」ほどの豪華客船の建造は三菱重工でも初経験であり、作業工程は遅れがちであったため、この2ヶ月の期間短縮は現場に大きな影響を与えました。事実、問題の溶接作業が行われていた4番デッキの作業もスケジュールより5日程度遅れており、管理者側には相当の焦りがあったことが想像されます。そして、そもそもまだ火気作業が継続されている区域の隣に大量の可燃性資材が搬入されていたのは、過去に例のない大型客船の建造で工程管理が行き届かなかっただけでなく、工期の前倒しによって作業の流れが混乱していたことの表れでもありました。

このように、この事故の直接の原因は「火気作業届提出」というルールの不遵守、という単純なものですが、その背景には組織文化的な側面や管理上の問題点、更には組織の経営戦略に起因する要因までもが見え隠れします。「ルール遵守」は当たり前という建前の陰に、このような要因からくる「ルール軽視」の兆候を見逃さず、大事に至る前に手を打つことが非常に重要ですね。

参考文献:『組織行動の「まずい!!」学―どうして失敗が繰り返されるのか』(樋口晴彦著 祥伝社新書)

(HM)